入峰修行体験記
(山伏修行)


岩岳入峰修行初参加の感想 H28

 平成28年5月29日、愛敬院さんの岩岳入峰修行に初参加させていただきました。ほんの1年ちょっと前までは仏教等には全く無知で、お寺に行くとすればお葬式や法事やお墓参りしかなかった私ですが、縁あって地元の三十三観音霊場、十三仏霊場などを巡り始め、徐々に仏教、般若心経などお経の事、数々の仏様やご真言、お寺などなどに興味が出てきて独自に勉強していて、その中で山岳信仰や山伏修行の事を知りました。地元の三十三観音霊場巡礼に並行して、愛敬院さんも含まれている東北三十六不動尊巡礼も始めて、愛敬院さんで入峰修行体験をさせていただける事を知り、山伏修行に興味が出てきていた私は一も二も無く参加を決断させていただきました。
 県外からの参加で初めて行く場所で岩岳がどの位難易度があるかも分からず、岩岳と同程度の標高の地元の山などで練習登山などもしてはいましたが、初心者の私にとって 果たして登りきれるのか少々不安でした。また、初めて行った山に登るんだからせめて今回は晴れてくれればいいなぁとも思ってました。更に、一日だけだけど入峰修行を体験させていただけるという事で、いったいどんな体験をさせていただけるのだろうか、などと、とにかく当日まで期待と不安が入り混じった様な心境でした。
 そんな訳で参加を決意してから数ヶ月を経て迎えた当日、私の願いがお天道様に通じたか、お不動様のお陰か、ともかく好天に恵まれ一安心でした。入峰修行なんだから本来苦しみも味わうべきなのかもしれないですが、岩岳に登り始めるととにかく新緑が目に眩しく気分最高で、正直本当に良かったです。これが同じ山でも曇りや雨なら違った印象になり、気分が落ち込み疲れ倍増になったろうな、などと思いながら山道を進みました。滝の下の方の清流で足元を清めたり要所々々で勤行などの経験させていただき、気持ち良いままあっという間に山頂に着いちゃたなって感じでした。
 更に初参加特権で、これは是非体験させていただきたかった、岩から半身ほどのりだす『覗きの行』もさせていただけました。ただ、下りでは登山初心者の為か、力任せに下ってしまった様で膝を痛めてしまい数日は痛かったし、日頃の運動不足が祟り太股も筋肉痛になりましたが、これも経験してみないと分からなかった事なので、自分の至らない点も思い知らされたこの経験も含めて、今回参加させていただき本当に良かったです。
 今回は好天に恵まれ終始気分良く入峰修行させていただきましたが、二度三度と参加し様々な天候も経験させていただき、都度自分がどう感じるか試してみなければな、と来年度以降も時間などが許せば参加させていただこうと決意いたしました。
 入峰修行とは母なる山に入って、一回死んでまた生まれ変わる事だと、登山前に愛敬院さんの本堂で伺いました。今の私は果たして生まれ変わる事が出来て、綺麗な人間になれたのかはなはだ疑問ではありますが、確かに今後の普段の生活の励みにはなりました。まだまだ分からない事だらけではありますが、今回の修行を体験して、自分の心を鍛えて、出会った人々に優しく接し、自分も含め周りの人々も幸せになっていけたらな、と思いました。この様な修行体験の機会がなければ、自分を見つめ直す事もなかったかもしれません。機会を与えていただきありがとうございました。また参加させていただきます。

山形県山形市 Gさん



入峰修行に参加して H28

今回初めて修行に参加させていただきました。この修行を知ったのは、東北36不動尊巡拝の旅でした。この巡拝の旅は、自分自身を変えたいという気持ちから始めたものでした。第30番札所の愛敬院さんで、御朱印を頂いている際に、今度修行体験があるけど、参加してみないかと声をかけられたのがきっかけでした。
 初めの内は、参加は今度にしようと思っていました。しかし、旅を終えてから声をかけられたのも何かの縁、ここで参加しなかったら、自分を変えようとして旅をしたのに何も変わらない。これじゃダメだと思い参加しました。
 参加してみて、ついて行けるか心配でしたが、登っている途中、六波羅密を実践できているか自分自身と向き合うことができ、終わった時には清々しい気持ちでした。また、今回一緒に修行した仲間とのご縁、六波羅密の精神を大切にして日々生活していこうと思います。本当にありがとうございました。

福島県 桑折町 Aさん


岩岳峰入り修行に参加して H28

 修験山伏修行とは、との思いから、一度は参加し味わってみたいが実現した。
 愛敬院、本堂で身じたく(奉冠)後、住職より一日の内容、心掛けを、しおりを元に説明、中身が深く聞き馴れない単語に神秘感を感じる「歩く疲れたでは修行の意は薄い、一旦、死の世界へ入り修行し清らかな体に生まれ変わるのですよ。」なんという心得だ。
 本堂を出発、今回30名が第一目標の清滝不動尊、清滝に向け一列整然と歩む、法螺貝が鳴る、金剛杖の音も聞こえる。川のせせらぎ、深緑の風の臭いが心地好い、30年以上前に二度来た事がある。杉林は大きくなり、滝の音は静けさを感じる。水に踝まで浸かり勤行を唱える、冷たさが頭まで感じ身が引き締まる。
 岩岳へ向け一路歩む、第二登山口から見晴らし台を目指す。厳しい急斜面を登る、道標べを前の方に続き、木々に掴まり、足場を選び、上を見・下を見、皆んな列を乱さないよう、黙々と歩む。
登り切った感がある、見晴らし台に到着、日差しはあるものの、暑くない。でも脹脛が痛い運動不足が否めない、空腹をおにぎりで満たし目標の山頂が前方に見えた、しばし休憩。
 最後の難関か、三十度を越える岩肌が、目前に続く、悲鳴を上げる体に、法螺貝の音そして「懺悔々々六根清浄」の住職の唱えに皆、声を合せ、無心に登り、なんとか山頂到着。疲労感があるものの達成感が強く気持ち良い。しばし神の空気を味わった。(汗もあまじょっぱい)東西南北、登り下り道、峰入りが体を動かした。
 本堂、参道(産道)で、わらの火を飛び生まれ変わった後に護摩祈祷を受け修行が終了した。一日の内で何と多くの事を体験させていただいた事か、今後の人生に生かし雑事に追われず素直に歩んでいきたいと思います。住職、皆様に感謝いたします。「ありがとう」

丸森町 Sさん



山伏峰入修行を体験してみて H28

 今回は、山伏峰入修行を体験させていただきありがとうございました。日常生活の中では、なかなか出来ないので、とても貴重な体験でした。
 初めて参加して思ったことは、こんなに険しい山々を歩かなきゃいけないのかと思いました。父からどういうところを行くのか聞いたり、ホームページなどを見たりはしていましたが、ここまで大変だとは思ってもいませんでした。なので、道中ではたくさんの方に助けてもらいました。また、たくさんのアドバイスもいただきました。おかげで、ケガをすることなく終了することができました。
 覗き岩のところでさけぶということは、最初は怖くて勇気が出ませんでした。先輩の方からも、ためしてみたらと言われましたが、どうしても勇気がでませんでした。でも、他の方がしているのを見て自分もやってみようと思うことができました。実際やってみるとやっぱり少し怖かったですが、自分が思っているほどではありませんでした。今、思えば挑戦してみてよかったなと思います。なんせ岩から身をのり出してさけぶということは、なかなかできることではないからです。
 今回体験したことは、とてもいい経験になりました。この経験が、生活の中で役に立つと思うので、忘れずに何かあったときはこの体験を思い出しがんばっていこうと思います。

仙台市 Sさん



体験記 H28

 隣町に住んでいながら、全く知らず、今年初めてヒメシャガの広告の端に、修行体験があると知りました。参加を許して頂いた時の高揚した気持ちは今でも覚えています。
 当日は天候にも恵まれ、とても充実した一日を過ごさせて頂きました。参加された皆様もいい人ばかりでした。山伏さまもみな格好よい人でした。また機会があったら是非参加したいです。格好いい文章をと思って中々書けませんでしたが、まあそこは私の技量ということですね。本当に感謝しています。
 目指せ5回参加!ありがとうございました。

角田市 Oさん



体験記 H28
 友達から「丸森で山登り」の修行があるよ、頂上からの眺めもすごく良いから行ってみない、と誘われ参加しました。天気も良く新緑の涼しい風と山水、その水音に心も身体も洗われるようでした。
 ただひたすら歩き、険しい岩山を登っていると、昨日までの嫌な事も忘れて何故か、つらいよりも楽しい私がいました。
 本当に参加して良かった。また来年も参加したいと思いました。楽しい一日を過ごす事が出来ました。本当にありがとうございました。

登米市 Gさん



山伏修行に参加して H27

 初めての修行を終えて自分に何か変化があったろうか。又これだ!という事が感じられたろうか。と思迷い、あれこれと考えDVDを見たりしても心がまとまらず、約十日間が過ぎた時、突然同級生の死亡の連絡が入りました。
 病気との闘いに人生の1/3をついやしながらも人生に未練を残さず、死の一ヶ月程前から身辺の整理をし、後顧の憂いなく一人旅立ちました。その時私は今回の山伏修行の「歩く・ただ無心になり歩く」という姿を思い出しました。
 私は当初、自分の心を落ち着かせる所はどこか、何かを求め歩き出しましたが、やがて自分が大地にに溶け込み、自然の音を聞けることが何物にも変えがたい喜びだと感じました。他人とくらべる事は良くない事ですが、元気に歩ける・人並みに山に登って行ける・目で耳で自然を感じる事が出来る事は、とても幸福な事だとつくづく思い知らされました。
 普通である事が幸福な事、知っていそうでも忘れている事が今回の山伏修行での、先達さんの姿を見て感じました。
 高齢の人・体調の悪そうな人に絶えず心配りをし、遅い人を急がせるのではなく、その人が進むまで待ち、無理のない歩き方を身をもって話しかけ、又他の参加者も一人も愚痴らず、その場で待つという心の持ち方に心を打たれました。
 全てが普通の事として接している姿、まさにこの事が修行そのものなのだと思い知らされました。
 この心、思いを一年間待ち続け、来年もまた参加させていただきます。本当にありがとうございました。

登米市 Sさん



御礼 H27

謹啓 この度の岩岳入峰修行では先生はじめ他の行者様に大変お世話になりました。
 震災後初めての清滝・岩岳修行は霊山とは、また違った胎内での修行でした。
お送りいただきましたDVDを見まして、各行場や本堂でお経を唱える姿は、皆が自然と一体となった何の穢れもない菩薩のように見えました。
 お陰様で修行に参加された皆様と心を一つにすることが出来まして、清々しい気持ちで帰郷することが出来ました。これからもこの修行で培った心を持続し、毎日の生活に活かしたいと思っています。ありがとうございました。             敬具

栗原市 Iさん



体験記 H27

 この度は、和尚様はじめ先達の皆様、ともに入峰修行に参加された皆様、大変お世話になりました。
 私は郡山市から参加させていただき、高速道国見ICから愛敬院へ向かいましたが、途中の道の険しさに、聖なる修行の場として、人の立ち入りを規制するような里の奥深さを感じたことを覚えております。
 さて、今回参加させていただいた動機は、仕事の大変さを乗り越える力を得たいと思ったからです。結論としては、今も逃げ出したいと思いますし、大変さを感じることは変わっていないと思います。しかしながら、修行を通して、私は、当初目的としていたものとは別のものを得ることができたように思います。それは清らかな心がどういうものであるかという体験です。その状態は大変心地良く偽善ではなく素直に他人に尽くす気持ちがありました。今までの私は、(今の少なからず)自分の利益を第一として生きてきたと思います。ほめられる生き方ではありません。今、私は修行を通して自分が変わったと思います。それは自分で自分を変えたというより、変わったという表現が適切なのです。この体験により、私は清らかな状態を求めて精進したいと思うようになりました。覗き岩で先達へ誓った言葉、「28日はお不動さんの日、精進するか」「自分に厳しくするか」「人に優しくするか」、この言葉を胸に、まだまだ一歩踏み出せたかどうかではありますが、今後、菩薩道を精進してまいりたいと思います。この度は、大変ありがとうございました。乱筆乱文の程、どうぞお許し願います。

福島県郡山市 Yさん



体験記 H26

 私が入峰修行に参加した動機は、日頃ストレスを溜めやすく、安易に娯楽に逃避しがちになる自分を変えたいという欲求からであった。一旦死の世界に入り、煩悩を落として、ふたたび新しい生をうける。古来より修験道に脈打つこの独特の観想は、生まれ変わりたいと思っている私には救いの手のようであった。
 ご住職のお話のあと、いざ、院を出立。好季節を迎え、にぎやかな大自然の中を、先達を頭に、寡黙な一行が進む。山伏の方の吹く法螺の響きが、高らかと一山を満たす。清流のそばでは、汗ばむ体に甲高い水声が何とも涼しい。風が山肌を渡るたび、葉と葉のすれ合う音が耳に心地よく馴染んでくる。
 歩きながら、私はいつしか無心になっていた。自然界のありのままの解放感に溶け込んでいた。山中の勤行では慣れないなりに、一心に読経していた。日頃は些事に捉われ、苦しむことが癖のようになっていた私。休みになると一日中娯楽に逃避していた私。私心を去って塵に捉われない体感は、久しく忘れていた自由そのものであった。まるで、荷を放ったような感覚であった。
 山路の途、険しい獣道のようなところや、急峻な上り、迫り出す巨岩の間近も通った。ご住職の言葉によれば、山中の辛苦は死後の十界のそれであり、辛苦を克服することによって、堆積した塵が払われ、清らかになれるのだという。私は土を踏みしめ、難所を登りきるたび、その言葉を思い出していた。山伏の方の吹く法螺の響きが遠山に木霊するたび、その響きが生まれたての赤子の泣き声のように聞こえ、心の持ち方も価値観も変わって新しい生をうけるような豊かな感覚を得た。
 今回の貴重な経験を通して、私は捉われを捨てたときの自由闊達な自分の一面を再発見することができた。
 ご住職様、先達の方々をはじめ、同行の皆様、ありがとうございました。

福島県福島市 Sさん


岩岳入峰修行に参加して H26

 今回初めてこの修行に参加させていただきました。節操も無く、全国あまたの行場で修行させていただいている者です。愛敬院の御住職、先達の皆様にも温かく迎えていただき、この度は貴重な修行をさせてもらい本当にありがとうございました。
 私は43歳の若輩者ですが、同業の先輩59歳を「楽しいハイキング」だと唆して、今回の修行に連れてきました。東京から電車を乗り継いで、前日の土曜日から丸森入りしました。丸森町の見どころ「阿武隈ライン舟下り」「齋理屋敷」観光を堪能してから、とても静かな(良い意味で)丸森町中心部に宿をとり、風呂と美味しい食事を楽しみました。東京での仕事漬けの生活を忘れて、43歳と59歳のオッサン二人の気持ちの悪いピロートークをしながら眠りに付きました。
翌朝、地元の方々に「お不動さん」と親しまれている愛敬院に向かいました。まず出迎えてくれた仁王門の素晴らしさに感動し、オッサン二人、思わず「ほーラ」と声を上げてしまいました。入峰準備のため先達から、頭に奉冠の着け方を指導していただいた辺りから、オッサン59歳が徐々に「楽しいハイキング」に疑いを持ち始め、峰中においてはその疑いが確信に変わり、覗きの行では「楽しいハイキングではない」と認識されたことでしょう。「キツいな、つらいな」を連発いていたオッサン59歳でしたが、岩岳から下山して、達成感からなのか「来て良かった、来年もまた参加しよう。それまでに体を鍛えておこう!」と言い、東京に戻ってから本当にウォーキングを始めてしまいました。
また、峰中では参加者の方でトレッキングシューズの靴底が外れてしまうトラブルが発生しましたが、私が予備の地下足袋を持っていたので、それを履いてもらい修行を続行していただくことが出来ました。
 以上二つの点が、今回の私の「大乗だな」と感じた部分です(※正しい大乗の解釈ではありません)
 私も来年の愛敬院入峰修行に向けて、毎朝ラッシュアワーの新宿駅を元気よく、階段二段駆け上がり通勤しております。

東京都立川市 Hさん


入峰修行に参加して H26

 朝5時半に起きて6時に出発。修行に参加できる嬉しさでわくわくしながら約2時間運転して来ました。
 本堂での入峰修行の説明から始まり般若心経読経をへて、いざ出発。私は初めての参加でしたので先達さんに付いて三番目に歩きました。本堂の滝沿いに歩き始めて間もなく『誰かがすがって来た。体が足が重い。』修行だ修行だ。頑張らなくっちゃ。頑張らなくっちゃ。体がどこまで持つか、いつ悲鳴をあげるのか根比べだ。金剛杖のお陰で三本足でどうにか清滝不動尊に辿りつくことが出来ました。ずっとずうっと「慙愧懺悔六根清浄々々」と心の中で唱えていました。ほっとして御苦労様と思い、両足のすねを手錫杖で祓い清めていた時、先達さんに「法具はそんな風に使うんじゃない。」と一蹴されました。清滝では、水の中に足を漬けての読経。『来た』声にならない仏様の嘆きに身を任せていました。終わって休憩するのも体が変。水中に両手を漬けて読経。清滝の水のお陰で体も軽く、見晴らし台まで辺りの景色を眺めながら歩くことが出来ました。昼食も美味しく食べることができました。岩岳山頂の覗き岩も最初に終える事が出来ました。頭では楽しかったのですが、体は怖かった様で両肘が打ち身で赤くなっていました。
 峰中の途中途中で読経していたので体は穏やかでしたが、最後に鳥居の前で火の付いた稲わらの上を真言を唱えながら飛び越えた時に、両方の目が激しく痛み、しばらく身動きができませんでした。何が起きたのか、何の意味があるのか・・・。痛みはしばらくして落ち着いたのでお護摩に参加して無事入峰修行の一切を終える事が出来ました。
 帰宅後も二週間位、夕方になると目が痛み、気管支炎も発生し一ヶ月の養生となりました。住職、先達の皆様、ご参加の皆様、沢山の思い出をありがとうございました。

宮城県登米市 Sさん


体験記 H25

 この度は、誠にありがとうございました。アメリカのネイティブ・ピープルに関わるようになった日々の中で、日本の古来からの文化と似た所がいくつもあるように感じており、もっと理解を深めるためにも、色々と体験しようと思った中で、山伏修行を選びました。ビジョンクエストという山にこもって行う儀式が、羽山ごもりのようなモノで、日本の文化の中で、そういったモノを脈々受け継いでいるのは、山伏の修験道なのだろう!という気持ちで、タイミングも合い、参加させて頂きました。
 何も知らず、何も解からずの私でしたが、皆様がとてもやさしく丁寧に、お道具一つ一つの説明や、山の歩き方を教えて下さったので、早い段階で緊張はほぐれました。
 数か所で行われた勤行の中で、私が一番印象に残っているのは、滝の中で行われたものです。五月のまだまだ冷たい水の中に足を入れた時、とても冷たくて、思っていた以上に辛いと感じました。本当は上がってしまおうかと思ったのですが、勤行が始まってしまい、そのまま水の中で行うことにしました。三条錫杖経が始まる前、足がキンキンしてしまい、なかなか集中出来ず、辛い!という気持ちが勝っていました。けれども、三条錫杖経を読みすすめて、心経に移る頃、とても不思議な体験をしました。
 キンキンジンジンしていた足の感覚が気にならなくなり、声を発しているからか体がぽかぽかし始め、自分が自分の内に戻っていくような感覚がありました。輪郭がなくなって自身が言葉だけになっている様な不思議な感覚です。それは他と比べることのできない心地良さで、本当に何とも言えない力強くもあり、とても優しくもある不思議な感覚でした。お水から上がる時には足にあった不快感は全くなく、とても充実した感覚が全身をつつんでいるような体感がありました。その後は不思議と疲れることはなく、修験体験を終えることが出来たのです。あの感覚以降、見るモノ感じるモノがすごく鮮やかで、この自然の中の一部なんだ!と自分が生きてる。のではなく、生かされている。という事を実感しながら一歩一歩進めた事、忘れられません。
 その後の日々も、当たり前の様なモノでも、そうではない事、感謝することの大切さを、とても深く深く実感することができております。あの日、修験体験に参加できて、本当に良かったです。当たり前で盲目になってしまっていた所も、自分の中にあった凝り固まった感覚も、ゆるりとほぐすきっかけを頂きました。本当にありがとうございました。

東京都港区 Oさん


入峰修行
 私は、挫折から目標を持てず、周りと比較する自分に嫌気をさして過ごす日々でした。入峰修行を機会に、いい答えが出ればと思いながら参加しました。
 きれいな空気、景色を見て心を、落ち着かせることが出来ました。入峰修行の経験を活かし、常に清らかな心になるように、日々の生活でも努めたいと思います。
栃木県宇都宮市 Iさん


入峰修行を体験して
 今回初めて参加させていただきました。もっと前より参加を考えていましたが、身体がついていけるかどうか・・・
 私は平成17年に「仙腸関節障害」により、骨盤付近にある関節「仙腸関節」を固定し、動かなくする手術を受けました。最近まで痛みとしびれに苦しむ日々でしたが、やっと薬を使わないでの生活が出来るようになりました。
 今までの自分と別れ、今まで助けてくれた方々へ感謝し、今も同じ病名で苦しむ仲間の心の支えになれれば・・・ そんな想いで参加しました。以前の私では考えられない山道を自分の足で(時には手足)歩き切った事、霊山で生まれ変われたと実感しています。でも、この入峰修行も先達・先輩そして同行してくれたS氏の支えがあって満行出来た事も事実とし、今後もこの入峰修行を忘れずに生活してまいります。ありがとうございました。
仙台市泉区 Iさん


体験記
 先日は、霊山入峰修行に参加させていただき誠にありがとうございました。今回の参加のきっかけは、他の寺院様の御縁で行者さんと知り合うことができまして、今までに経験した事がない体験をすることが出来ました。
 以前より山伏修行に興味があった私ですが、今回、初参加で心もはずませながら日々を過ごしていましたら、入峰修行開催21日前に突然高熱とめまいそして耳鳴り等で歩くことが出来なくなり寝込んだ状態だったので体力と気力が低下してしまい、私も今回の参加が出来ないと諦めかけていたその時に、妻から一言「私も参加するから諦めないで」と勇気づけてくれました。
 そして、急なお願いにも関わらず、病気の私と妻の参加をこころよく引き受けていただきまして、住職様に感謝しております。
 当日、天気くもり朝5時に知り合いの行者さんと待ち合わせて丸森に向かいました。愛敬院に着くと次々と参加する人が集まりだして参加者の多さにびっくりしました。
 少しめまい感の残ったままバスで移動しながら、住職様にお教えていただいた「十界の修行・疑死再生」の意味を心に刻み無事に霊山に入山しました。
 入峰修行中めまいの発作や体力の低下のため挫けそうな私に、先達・先輩方々の応援と励ましの言葉をかけて頂きましてありがとうございました。無事に何事もなく山中での十界の修行「六波羅密の実践」そして、各行場での勤行などたくさんの体験を体得することが出来ました。心身共に清々しい気持ちで愛敬院に戻り、わらの火を飛び越えて満行することが出来ました。
 入峰修行を終えて不思議なことに次の日から私の病気が消えてしまい、今では仕事に復帰しております。来年も参加させていただきたいと思っておりますのでよろしくお願い致します。
福島県富岡町 Wさん


入峰修行に参加して
 霊山入峰修行に参加させていただきましてありがとうございました。今回は体調不調の夫の付き添いで参加させていただいたわけですが、普段運動などをまったくしていない私は、不調の夫の手助けをするつもりで参加しましたが、霊山に入山してすぐに断念しそうになり、かえって夫に助けられてしまいました。先達・先輩方々にもアドバイスや優しい言葉を沢山かけて頂きまして、なんとか自分のペースで歩く事が出来、徐々に歩くのに慣れてきたような気がしました。各行場では勤行にも慣れてきて、皆さんと共にお勤めする事が出来ました。私が一番びっくりしたのは、先輩方々(年配の方達)の身軽さや強さには驚き、自分の弱さに情けないと思いました。
 今回、入峰修行ではみなさんの心優しい気配りと励ましのおかげで、夫と共に満行する事が出来まして本当にありがとうございました。来年も夫と一緒に参加したいと思いますので、その時はどうぞよろしくお願いいたします。
福島県富岡町 Wさん


霊山入峰修行体験記
 私が霊山入峰修行に参加し始めて3回目となりました。過去2回は直前まで大雨という天候でした。昨年は一面の霧で下がまったく見えませんでしたが、それはそれで腰が引け怖気づくものでした。今年は快晴で、覗きの行場でも遥か彼方まで見え、絶好の吊るされ?日和でした。
 今年の祝宴で病気から回復されて、その節目として参加されている方が何人かお話されました。健康体なので参加できて当たり前、満行できて当たり前という考えでいた私は打ちのめされました。そこまでして参加されている方々の決意の強さはどのれほど強いのか?もし自分だったらそこまでして参加するのか?決して自分の目線だっけでは考えられないことでした。できて当たり前、やって当たり前と考えていた私にとって大きな気付となりました。改めてこの行に参加される方々には自分にはなかった大きな期待と不安や強い決意があることを気付かされその重みを噛み締める平成22年の霊山入峰となりました。
名取市 Tさん


霊山入峰修行体験記
 月山に良く登る。多くの講中の方々に出会う。また、羽黒山神社の神前で般若心経を唱えている人を見る。吉野でも多くの宿坊で修験者に出会った。縁あって護摩行を体験したときに感じた、なんとも言えぬ厳粛な気持ち。などが今回の山伏体験に参加した伏線にあったと思う。
 しかし、直接の動機は昨年秋に大きな手術をし体力が落ち、なにもする気にならなくなるまで往った後、最近ようやく気力も少し出てきたためかもしれない。ただ、体力のない人間がどこまでできるもだろうか心配であった。自分の体力が限界になったとき途中離脱できるのか、同行する方に迷惑かけないかなど不安であり、相談するため愛敬院までたずねた。住職から以前参加された方々の年齢や、山中でのコースやぺース配分などの説明を受けた。さらに修験道の意味などについても丁寧なお話をお聞かせいただき、ぜひ途中まででもご一緒したい、すこしでも修験者の体験をしたいと思いが益々強くなりぜひ同行させてもらう決心をすることとなった。
 前日までの寒い雨もうそのように快晴となった当日、不安を感じながら付添い役になってもらった妻とともに修験修行をはじめて体験することとなった。愛敬院で修験者の身支度をし、本堂前での勤行後出発、山に入り、最初に行った覗き見の行や途中途中での勤行を行いながらほら貝の音、急な登り坂での懺悔懺悔六根清浄の掛け声などに励まされ、お不動様のご加護により術後いまだに辛くなることがある体ではあったが最後まで同行することができた。
 最後の霊山神社でのお参り、愛敬院へ戻ってからの火渡り、本堂で柱源護摩供、直会での私と同じような身体に不安を感じながら参加した人などの話を聞き改めて満行できた感激を励みに、疑死再生六根の戒めを心にしっかり受けとめ、来年もまた妻とともに同行された皆さんとともに疑死再生の塵落しの行に参加できるよう六波羅密の実践に精進していきたいと思います。ありがとうございました。
柴田町 Oさん


霊山と羽黒山と
 霊山の峰入り修行は、偶然ブログで見つけ、一目で気に入り、場所も中身もよく判らずに申し込み、早朝の高速道路を急ぎ駆けつけました。後で、この峰入りも数年、風雨にたたられたようなお話を聞きましたが、私の唯一の取柄は「晴れ山伏」です。およそ野外のイベント、お祭りなどで雨にたたられたことはありません。このジンクスは今回も続いたようです。当日もさわやかな快晴でした。実は私は、羽黒山の7日間の峰入り行にも参加し、「※※」の名を持つ山伏の端くれではあるのですが、なにせ出羽三山神社の行ですから、仏教、天台宗の峰入りとは、衣装は勿論、祈り言葉、作法、法螺貝の吹き方など、すべて違います。しかし、神と仏の違いは別にして、岩場を巡って拝所を拝み、十界の修行、六波羅蜜の実践など基本的な心は同じです。羽黒山も江戸時代は上野の寛永寺(天台宗)に属し、別当を置いていたわけですから、元は同源です。大江先達からも気持ち良く「修験はもともと神仏習合です。」と、山中で羽黒式の法螺貝を鳴らすのも寛容に受け入れていただきました。羽黒ではもうやっていない「覗きの行」は勿論、初めてでしたし、奇岩怪岩の連続する神秘的な霊山を駆け巡り、雨滝不動尊の霊水をいただき、新鮮で感動的な体験をさせていただきました。護摩祈祷の後の懇談会で、参加者方々から大病をしたり、いろんな悩みを抱えてこの行に参加された方のお話などもお聞きしました。心の拠り所としての不動尊そして霊山の存在の大きさを改めて感じました。私も、もっと修験道という世界を勉強してみようと、今年の夏は再度、羽黒山の「秋の峰」の行に参加いたします。今は神様のお山になっていますが、かつて羽黒山は「現世」で本地仏は観世音菩薩、月山は「来世」で本地仏は阿弥陀如来、湯殿山は「再生」で本地仏は大日如来となっていました。出羽三山は仏教の輪廻のお山でもあります。是非おいでください。大江先達始めスタッフの方々、参加者の皆さんありがとうございました。(合掌)
山形県 山形市 Mさん


霊山入峰修行体験記
 縁あって、2月末に「一日修験体験」のことを知りました。丁度満60歳の節目を迎えたこと。昔、静岡に住んでいた叔母が、赤城山に篭って般若心経を唱えていたことを思い出し、参加してみようと思いました。
 5月30日、朝7時過ぎ、前日からの雨も止み太陽が顔を出しています。駐車場には「それらしき人達」が、続々と集まって、集合時間の7時半前には、修験の装束の方達が何人も集まり、ひとりで参加の私は、「自分に出来るだろうか?」の不安がよぎりました。
 名札を受け取り、1枚の布を頭に巻き、金剛杖をもらい、私もにわか修験者になった気分で、バスに乗り込みました。バスの中で、今回が25回目の記念すべき年であること。最多参加者は20回の方もいることを初めて知りました。
 9時前に、登山口に着き、いざ出発です。歩きやすい上り道で、ほどなく鍛冶小屋岩にさしかかりました。ここで1回目の読経です。冊子がありますが、サンスクリット語も混じり読み方も独特で、速度も速く、ついてゆけませんでした。次に覗き岩です。読経が終り、初参加者9人と希望者3人の12人が、岩から身をせり出して、日頃の行いを問われるのです。ロープをつけていますので、安全上は問題無いのですが、何せ断崖絶壁から半身をせり出して合掌するのですが、足がすくんでしまい、少しづつしか前に進めませんでした。問答があって、大きな声で答えなければなりません。自分の番が終わってホッとしました。そして山歩き、読経と続きますが、少しづつ慣れて、心地よく感じられるようになってきました。そして霊山城跡でお昼。午後の山歩きの方が、上り下りで坂も急峻できつかった様に思いました。約6時間の山歩きで3時半頃に目的地の北側キャンプ場に着きました。その後霊山神社、バスで戻り、本堂で勤行を行って終了しました。
 一日、入山から出山まで貴重な体験をさせていただきました。この日の心の持ち様を、如何に日常生活に生かすか?が、これからの課題です。また当日参加した人達をみると、病気を克服された方々や志の高い人達が多かった様に思いました。
角田市 Tさん


霊山 峰入り修行 09年5月31日

宮城県と福島県の県境に霊山という山伏の修行揚がある。昭文社の地図にもその名はなく登山情報は極めて少ないが、地元では人気の、天高くそそり立つ奇石怪石の見事な隠れた名峰なのである。
 霊山は2500万年前、火山活動によって生まれた。西暦859年比叡山延暦寺の慈覚大師により開山、釈迦が修行した霊鷲山にちなみ霊山と名づけられたと言う。嶺には霊山寺が建立され、全盛期には数十の伽藍と3600にも及ぶ僧坊があったと伝えられている。

5月30日(土曜日)雨
 雨の中、東北自動車道を北へ北へと車を走らせる。 31日峰入り修行の朝は早い。東京から参加の私は当然、前日の現地入りとなる。国見ICから国道349号線へ抜け、霊山峰入りを主催する山伏の寺、愛敬院のある丸森町へ向かう。雨に霞む阿武隈川を右手に見ながら、雄大なその流れを山奥へと遡る。
 阿武隈川は阿武隈山脈にその源を発し、この水の恵みは何百年もの間、命の営みをたえることなく支えてきた。命の源、母なる山。そして峰入りとは、その山つまり母の胎内に今一度入り、煩悩を払い落とし生まれ変わる行。そう思うと、私の行は、この阿武隈川を車で遡っていった前日30日から始まっていた
事になる。

5月31日(日曜日)
 当初、雨の予報であったが朝目覚めると薄く朝日がさし雲が切れ始めている。愛敬院本堂には7:30をめどに、どこからともなく人が集まりだした。総勢27名(山伏6名含)。袈裟と頭にまく独特の白布を身につけ、般若心経を唱えてから霊山に出発する。
 9:00 霊山登山口到着。そそり立つ岩山に唖然とする。見上げれば頂上付近には雲がかかり仙人でも往んでいるのかと思われるほど幽玄な雰囲気の山である。山伏の吹くほら貝の音と共に出発。
 鍛冶小屋岩―見下ろし岩(のぞきの行)―籠り岩不動尊―弘法のつんぬき岩―蟻の戸渡り―東物見岩(最高点)―天狗の相撲場―護摩壇―霊山城跡―日枝神社―雨滝不動尊―湧き水の里―霊山神社

次々と行場を廻る。鎖場もあり岩のトンネルもある。 どこも険しい岩だが火山灰からできた山のため、岩はゴツゴツとしていて滑りにくい。昨夜の雨に濡れた深い緑が修行者をより神聖な空間に誘い込む。握り飯よりもお茶よりも空気が美味しい。空気だけで数日生きられるのではないかとさえ思う。ほら貝の音は岩肌にぶつかり反響する。それは奇石の間にぽっかりと口をあけた黄泉の国へも響いていくようだ。
 休憩の時に山伏の一人が独り言のように呟いた。「この山は紅葉の時期には1ヵ月に6,000人もの人が訪れる。それでも磐梯山や安達太良山のように登山道が荒れない。霊山の動植物の生命力が強いからなんですよね。それ程、高い山ではないのに生息する生き物や群生する植物の種類が驚くほど多いのです。不思議な山ですよ。」まさに「生命の山」なのである。
 15 : 30 下山。修験道とは不思議なもので、どんなに厳しい道でも下山後に疲れが残らない。むしろ新たなエネルギーを得て体が軽くなる。自然の治癒力は目に見えず、しかし確かな手応えを修験者の体に残すものなのだ。
 16 : 00 霊山神社にて無事下山の挨拶。愛敬院に戻り、産声をあげながら「わらで焚いた火」を飛び越えて無事再生となる。
 18 : 00 参加者が山伏を囲んでの会食。突然、一人の老女が立ち上がって礼儀正しく皆に一礼をした。老女は語り始める。
 「私は、今回で8回目の参加です。しかし7回目から今回までには5年間のブランクがありました。 7回目の修行を終えたところで肺がんが見つかったためです。今ではお蔭様で強い薬も使わずに体調もよく、発病から5年目を数えることができました。闘病中、(私は7回も山伏修行をした)と言う事が励みになり又自信にもなりました。(7回の修行が身についているから大丈夫だ)と前向きになれたのです。ですから、今回はお礼の気特ちもあって参加させて頂きました。体力も落ちているし、全部歩き通せるか、皆様に迷惑にならないか心配でしたが今回が最後のチャンスかも知れないと思い立ち参加させて頂きました。皆様に助けていただきながら、無事、修行を終えられた事を心から感謝したいと思います。有難う。」満面の笑み。一同拍手喝采。

 夕闇がせまっていた。私は東京まで帰らねばならず、一瞬はなれがたい衝動に駆られたが車で昨日きた道を阿武隈川に沿って下りていった。阿武隈川は相変わらず悠然と、時を越えていこうとする物凄いエネルギーを内包しながら、黒い龍のように闇を泳いでいた。
東京都 杉並区 Nさん


御礼
入峰修行記念CD 送付くださいましてありがとうございました。峰中での経験を活かし菩薩道に精進いたします。
 初めて訪れた丸森の土地でしたが、 駒場滝不動尊、愛敬院の神秘なる信仰心に感動いたしました。 心、新たに、また来年も入峰修行に参加いたしたく、お願いいたします。
ありがとうございました。
登米市 Wさん                    

ありがとうございました
 始めに、霊山入峰修行に参加させて頂き本当にありがとうございました。道中移動の車中で、お教えいただいた「六波羅蜜」を心に刻み、先達の方々や同胞の方々と共に霊山を登るうちに心が少しづつ晴れ、清らかになっていくことを感じました。見下ろし岩で体験させていただいた「覗き見の行」では、ロープで縛られ自分の力ではどうする事も出来ない状況の中、ロープを引っ張っていてくださる沢山の方々がいるおかげで自分の命が今ここにあることを肌で感じ、感謝の気持ちが湧き上がるとともに「人は一人では生きられない、沢山の人に支えられて今の自分があるのだ」という思いを新たにしました。
 本堂内での護摩の高々と燃え上がる炎の前においては、全員で般若心経を唱え続ける中、荘厳な雰囲気に身が引き締まり、心の中の全てが無になったように感じました。最後になりますが、お教えいただいた様々の事を忘れずに、常に心清くあるよう日々精進にてまいります。来年も是非参加させて頂きます。よろしくお願いいたします。   合掌
山形県 米沢市 Yさん


山伏修行を体験してみて
 まず始めに文字を久しく書かぬ者の駄文雑文をお許しください。
 今思える事で体験自体では見下ろし岩で本当に久しぶりに大きな声を出すことが出来てすっきりし、緊張する私に和ませようとやさしく接してくれた先達や住職には感謝と、修行にも関わらず、物見山気分でついおしゃべり、あげくは先達、住職 よりも先を歩き列をみだしてしまったりと自己中心の行動をしてしまい、反省をしております。
 私は昔から、中学あたりから生きる事にむなしさを感じ、社会に出てからは引きこもりで数年過ごし、両親をだいぶ苦しめ、何とかしなければと家を出てとりあえず働こうと今に至ります。現在は目標も見つからずただ命つきるまで消化試合をしているようです。
 数年前、仏教を学ぶは自己を忘れる事という言葉を聞きました。今までの自分の生き方は他人を信じず自分にしか興味なく、表現しづらいですが自己ばかり考えてました。
 今30を越え、ますます頑固になり、今こそ仏道、修験道習い今の腐りきった私の心を明るく浄め、見つめ直し前向きに生きて、なんでもいい、人のために役立つ事がしたいです。自分の中に芯がほしい。それが私の今一番の願いです。芯を入れてくれるのが修験を一から習うことじゃないかと感じ、住職の元で習う機会がほしいです。
 山伏修行で生まれ変わる機会を与えて頂きありがとうございます。来年も参加して、改めて自分を見直すきっかけにしたいです。 ありがとうございました。
 福島県 いわき市 Kさん


山伏修行体験記
 
今回初めて職場の同僚に参加を勧められて興味本位のままに霊山入峰修行に参加し、今までに経験したことのない貴重な山岳崇拝の精神を体験することが出来ました。
 霊山は、今までにも紅葉の時期には何度となく訪れた事のある山の一つでしたが、今回新緑の季節に初めて登って霊山の自然の素晴らしさと歴史に改めて感動すると共に、今回の入峰修行が物見遊山ではなかった事を自覚する事が出来ました。
 今までにも出羽三山の山岳修行で険しい山岳を歩いて苦労に耐え心身を鍛える様子などテレビ等で拝見し、機会があれば一度は挑戦して体験したい思いは以前から有りました。
 図らずも今回霊山入峰修行に参加する機会を得まして、山岳修行の意義を多少は自分なりに理解する事が出来たと思っています。
 勧められるままに興味本位で初参加した今回の入峰修行、出発に先立ち法冠等を身につけると自然と、今までは信仰とは無縁であった者でも身の引き締まる思いがしました。
 移動間車中での住職の擬死再生の話や十界の修行の内容を大変分かりやすく説明頂き、今回の山伏修行を通じて、今までに体験した事のない山岳宗教の教えを自ら実践して自分をもう一度見直す良い機会となりました。今後は、今回の入峰修行での経験を活かし、常に清らかな心を持って、人生の修行に日々努力精進したいと思っています。
 特に最後の霊山神社への整列しての行進や自然の中での大きな声を出しての勤行や清らかな体となって山を下り、わらの火を飛び産声を上げて生まれ変わる様子には、感銘を受けました。
 今回の入峰修行を機会にこれからも是非継続して参加したいと思っておりますので、今後共宜しくお願い致します。
大和町 Iさん


前略
先日は、入峰修行に参加させて頂き、誠にありがとうございました。以前より山を神のおわす所ととらえ、草木国土悉皆成仏を信条としてきた私は、いつか山岳霊場への入峰修行を果たしたいと思っていました。そして、同県の本山修験のお寺よるご縁で慈覚大師の開山した霊山へ登拝出来た事は、自分にとって、大変意義のある体験でした。何よりも、他の参加者の方々も決して興味本位でない真剣さが感じられ、一体感のある登拝だったと思います。先生、先達の方々、ありがとうございます。                                       合掌
蔵王町 Sさん

御礼
謹啓 梅雨前の爽やかな日が続いております。皆様ご健勝の事と存じ上げます。
 先日は大変お世話になりまして有難うございました。早速、写真・CDを送っていただき重ねてお礼申し上げます。
 当日は雨上がりで見晴しはききませんでしたが、全山霧が立ちこめ、その名に相応しい霊的な雰囲気が有って修行にはいい日だったと思います。
 いつもの山歩きと違い要所要所での勤行は気持ちが引き締まり、先達・先輩方のもと充実した体験をさせていただきました。
 何より自然の中に身を置いていることがうれしく、十界の修行としては「縁覚界」の心境だったと思います。これからの毎日の生活の中で少しでも「六波羅蜜の行」が実践できる様、努力したいと思っています。
 来年も参加させていただきたいと思っておりますのでよろしくお願い申し上げます。
敬白 平成20年6月   
仙台市 Sさん

入峰修行を体験して
 当日の朝、雨が降るなかに参加された方々が、雨がやむことを願って集合されたと思います。
 天候条件によりコース変更の報せは残念とも感じましたが、中止ではないとのことで安心しました。
 堂内でお話を聞きながら参加者の方々をみると幅広い年代の方がいらしゃり、遠くは関東からも来られて驚きもしましたし、ある意味自分の参加のことも考えると皆さんも同じものを体験したい方もいらしゃると思うと納得もしました。
 入峰する前から雨も完全に止み、法螺貝の音とともに一歩踏み出した時は、堂内で説明を受けた山を母体として、その中に入ることを意識し歩き出しました。そうすることで、景色もただそこにある木々や山肌ではない気がしてきました。
 その日に各地点で唱えたお経も回が増す毎に声もそろい、更に参加された方々との連帯感が強くなりました。
 一日の行ではという事もいわれるかもしれませんが、その日にお話ししてもらったことを意識して、山=母体からもどり生まれ変わった自分が今ここに居る感じ、この先も歩みを進め続けたいと思います。ありがとうございました。
仙台市 Bさん

山伏修行の体験
先日は知人よりお話を聞き、心をはずませながら参加致しました。登山の経験は多少あるものの還暦すぎた私が果たして無事に終了することが出来るだろうか不安を感じながら登り始めましたが、見下ろし岩(覗き岩)での覗きの行は初めての体験であり大変緊張しました。また各所において般若心経を唱え心が清められる思いがしました。霊山入峰修行に参加出来て本当に良かったと思っております。このように近いところに修行の場があるとは思っていませんでした。日帰りで修行が出来るなんてとても幸せであると思っております。あれから般若心経を覚えようと思い、なんとか覚えることが出来ました。来年はしっかりとした般若心経を唱えることが出来ると思います。これからは日常生活においても修行していきたいと思っております。大変遅くなりましたが本当にありがとうございました。来年も宜しくお願いいたします。
岩沼市 Sさん

御礼
謹啓 霊山峰入り修行での写真お送りくださいまして有難うございます。山に登って下って各行場で唱えたお経・真言そしてきれいな空気と景色が昨日のように思い出され、清らかな心持になります。今年は娘と参加させていただきお世話様になりましたが、娘は初めての経験で、今後の人生に必ずヤクに立つものと思っております。愛敬院や遠くからおいでくださった行者様方、本当にありがとうございました。
栗原市 Iさん


霊山入峰修行体験記
 何とも新鮮で爽快な山行でした、これが湧き水の里に下りてきたときの感想です。命の洗濯と言うか、心にこびり付いた俗世の垢をすっかり洗い落としたような、そんな気持ちです。
 霊山は地元の山ということで、子供会の引率などで良く登っていました。その後しばらくは登っていませんでしたが、昨年秋、愛敬院のHPで霊山入峰修行のことを知り、是非参加しようと思い立ち、晩秋から春にかけて、現地(霊山)でのトレーニングを積んできました。
 そして本番のこの日、これまでの山行とは違う、爽やかな気持ちでもって山道を辿っていきました。皆で励ましあいながら歩む楽しさ、声を合わせ、心を一つにして勤行することは、殆ど単独行で、ひたすら歩くだけの山登りを行なってきた小生にとって新鮮な喜びでした。
 あいにくの黄砂の影響で、視程が良くなく、吾妻、安達太良、蔵王の峰々や、仙台湾、牡鹿半島、金華山から太平洋の眺めを、参加頂いた皆様に楽しんで頂けませんでしたが、霊山という山を堪能して頂けたと思い、地元住民として有り難く思います。
福島県 Sさん


霊山入峰修行を終えて
駒場山愛敬院のお不動様のお導きによって行者となった私は、今回が初めての修行となりました。前の週に道の不具合がないか下見をし、来週の天気が良い事を祈願し、決意を新たにして山行に臨みました。大体の行程は御住職に伺ってはいたものの、当日は落ち着かない気持ちでした。平常心を念じながら、勤行しつつ行く道は、何度となく歩いた道なのに、聖なるものと化して見えました。一歩一歩と山を進む私は、母の胎内で育ち行く自分、きっと母も又、私がどのような子なのか不安と喜びとを持って待ちわびていたのかも、などと感じながら歩いていました。何かを考え、又何も考えず、無心になり、歩いたこの日は、今まで経験した事の無い、言葉では言えないが、しかし、今日この時を同じくした仲間達に共通する気持ちであろうと考えます。人はたった一人では生きられない、そして決して孤独ではない、それは、お不動様の縁によってここに集まった人々は心をひとつにし、祈るという、行を通して生きる意味を見出したから。又、明日から少しでも仏に近づけるよう精進し、苦しい時、共に歩いた仲間達も今どこかで頑張っている事を思い、忘れずに自分を奮い立たせ、いつか又、長い旅の途中で出会った時、お互いの成長を喜び合いたいと願っています。今はまだ、未熟な私ですが、この日を境にして、本当の自分を探して、そして、これからが、自分や仲間達の人生の修行なのではないかと思うのです。 「頑張れ!私!頑張れ!みんな!」 お不動様がいつもあなた方の傍らにおわします。                     合掌
福島県 Sさん 


霊山入峰修行に参加して
登山口までのバスの中で、入峰の目的「擬死再生」と「十界の修行」について説明を受けて霊山へ。各行場で勤行を行い、先生からの説明を聞いた。見下ろし岩の覗きの行では、自分の怖がる心を再認識させられ、望洋台と蟻の戸渡りでは眺めの良さに感動し、霊山城跡の広さには驚かされ、日枝神社と脇の観音堂では霊地の雰囲気を感じさせられた。終盤のつらい階段道の登りも「懺悔懺悔六根清浄」と先達の掛け声で、楽に登ることができました。下山後霊山神社に参拝し、戻りのバスの中では安心感でうとうととしそうになりました。最後に山門の前でわらの火をとびこえ、本堂内での柱源護摩ではお不動様の真言を何度も唱えて修行を終えました。十時間程の内で、山を歩き勤行を行い、眺めの良さに驚き、歴史を感じ、擬死再生の儀式としてのわらの火を飛びこえるという内容の充実した修行と霊山の奥深さを強く感じました。
新潟県南魚沼市 Tさん


入峰修行を体験して
沖縄県石垣島より昨年角田市に移住致して約1年が経過しました。島在住より御山の入峰体験修行をネットで知り、是非一度参加致したきものと考えておりました。入峰山伏修行体験が如何なるものかとおもいつつ、古希という年齢を迎え体力的にやや不安を抱いての今回の初参加でした。登山と変わらぬ安易な気持ちでおりましたが、十カ所程の勤行場を含むその行程は、見下ろし岩に始まり六根清浄を唱えつつの最後の急坂・急下りを経て湧水の里に至るまで激しく難所の連続でありました。各勤行場に於けるお経を唱え終わった時は誠に清々しきものでした。行程の道々を佇りつつ往時の状況などを想像致しました。この体験を終え今思いますこと、これからの日常生活に於きましては、六波羅密の実践を常に念頭におき、わらの火を飛び越した時の達成感を持ち続けて日々処して行くことが擬死再生につながるものと考えております。行住坐臥すべてを修行と思い、いかなる仕事に対してもおろそかにせぬ心構えを持つことが今回の体験修行にて得たものであると確信しております。折に触れ南北朝時代の歴史を読んで見たいものと、霊山がこの様に意義ある山とは、又訪れてみたいと思っております。最後に今回の入峰体験修行を御教導下されました住職様並びに先達・先輩の皆々様方大変ありがとうございました。次回も参加したいものと考えております。
角田市 Kさん


霊山入峰修行で感得したもの
もやもやとした日常や仕事の現状から脱却したい。そんなとき見つけたのが、霊山入峰修行だったのです。この入峰修行で脱皮できるかもしれない、生まれ変われるかもしれないと思うと、その日が来るのを待ちきれない思いでした。霊山に入って、まずはとてもさわやかな気分に満たされたものです。それは、ハイキングなどで自然に触れたから気持ちがいいなどという状態とは大きく異なります。特に山伏の方々が振り鳴らす錫杖の音、山々にこだまする法螺貝とともに、山中で全員がそろって勤行する行為そのものが心の垢を洗い流してくれるのです。これをせずには帰れない。そう考えていたのが覗きの修行でした。初参加の我々に対して山伏の先生が放った「不動明王が護ってくれる」という一言は興味が先立っていた私の考えを壊してくれました。岩から身をのり出して先達さんの問いかけにハイ・ハイと答えた以外、記憶はまったくありません。真っ白です。不動明王があまりにも俗世的な考えを消し去ってくれたのでしょう。でも残念ながら日常に戻ると修行で得られた思いが日々薄れていきます。そのような時は修行中の写真を見て思いを新たにし、さらに教えていただいた勤行を唱え、修行で得られたことを忘れぬようにしたいと努めております。たった一回の入峰修行だけで自分が生まれ変われるなどという甘い考えは、もちろん持っていません。再び修行するために来年も是非参加させていただきたく思います。ご指導いただいた山伏の方々、道中いろいろ教えていただいた先輩修行者、一緒に修行した皆さん、大変お世話になりました。
仙台市 Tさん


体験記
霊山という名の山は各地にありますが、そのほとんどに修行場が残されているようです。インターネットで霊山のキーワードで検索していましたら、偶然に愛敬院の修験体験の存在を知り申込みました。私は日頃から山歩きに親しんでおりますが、今回の体験修行に参加して、疲労、飢え、暑さ、寒さなどの苦しみに耐える山入りは、人生修練の場として改めて奥深いものがあると確信致しました。若いときから山伏に憧れ、一度は共に入峰したいと思っておりましたが、その念願がかなって嬉しくおもいます。山中の各行場で般若心経を詠じるとき、心やすまる想いでありました。住職様はじめ、山伏の方々には大変親切に導いていただき、無事満行できましたこと有り難く存じます。この経験は今後の私の生き方に活かして日常も修行に努めたいと存じます。満行祝宴において満行証までも戴き大変感激致しております。またこの度は峰中のスナップ写真CDと記念写真をご送付いただき、誠にありがとうございました。愛敬院様の今後のご発展を祈念しております。
埼玉県 Kさん


体験記
 私がこの修験修行に参加した動機は、自分を変えたい、一から人生をやり直したいと思ったからです。挫折から自分にまったく自身が持てず、常に周りと比較する自分もいて、自分に嫌気をさして過ごす日々でした。そんな時、インターネットで愛敬院の修験体験の存在を知り、ぜひこの機会に、自分を見つめ直し、何か自分にとっていい答えが出ればいいなという希望を持ち参加しました。
 参加するにあたって、一番年下であったこともあり多少不安もありましたが、参加してみると、皆さん温かく私を向かえてくれました。今まで、人付き合いを避けてきた私にとって心が開放的になれた体験でもありました。山々をひたすら登り、気が遠くなることもありましたが、皆さんと声をかけあい、最後は達成感でいっぱいになりました。自然と笑顔になれたことを覚えています。人と共に何かをやり遂げる幸福感、私にとって数年ぶりの体験でした。また、皆さんの人生体験を聞き、皆、悩み、常に自分を探し続けていけているのだなぁということを気付かされました。こうして皆さんとあえていろんなものを得ることが出来ました。温かさにふれ私も前を向いて歩いていこうと思いました。貴重な体験ありがとうございました。
栗原市 Sさん(21歳)


霊山入峰修行
 毎年テレビ等で出羽三山の峰入修行を見聞きして、山岳宗教にちょっと関心があり、一度体験したいと長年思っていたところ、霊山の入峰修行があり、その行程が歩きたいコース、子供の村側から湧水の里へ縦走であると聞き絶好のチャンスと参加しました。
 いざ、当日になり「霊山入峰修行」とはどんな事をするのだろうとちょっと不安な気持ちで、愛敬院に行くと年輩の人や若い人が集まりこの人達が参加すると思い安堵しました。宝冠や金剛杖等を渡され、準備が整う頃になると、前日の天気予報の雨に反して後光のような太陽の日射しが愛敬院に降りそそぎ、修行前から霊験あらたかな思いがしました。
 車両で移動の間、入峰修行の「目的と意味、勤行の要領等」の説明を聞き、恥ずかしい事ですが入峰の目的「疑死再生」が初めてわかりました。
 登山口での参加者の紹介により、丸森近辺だけでなく仙北・相馬遠くは東京から来た人もいると聞いて更に驚いた次第です。
 法螺貝の響きと若葉・青葉・鳥の囀りの山中を歩くことは、本当にお母さんの腹に帰ったような安らぎを感じるようでした。今まででの山登りでは得られない気持ちでした。また、覗き岩での初参加者の修行では、断崖から身を乗り出す「恐怖心と未知への新鮮な気持ち」そして問答による親に対する敬いの心、奉仕の心等へ大声による回答により心が晴々したような気持ちになりました。各行場での勤行、当初は目で追うのがやっとで、ちょっと目をそらすと何処を読んでいるのか判らなくなり、とても声を出せる状態でありませんでしたが、勤行を重ねるうちに声が出せるようになりました。
 愛敬院で護摩勤行していただき、清々しい気持ちになり、参加して良かった。来年は他の友達もさそって参加したいと思います。
柴田町 Mさん


山伏修行を体験して
 この度の霊山修行では愛敬院並びに御指導いただきました行者の先生方に大変お世話様になりました。
 修行の数日前から前日まで、天気予報では雨と報じられておりましたが、当日は全くの快晴で霊山から見下ろす山々や遥か遠くの峰々、平野まできれいに見渡せ、母なる山が私達をあたたかく迎え入れ、真摯に修行しようとする心を抱えてくださったものと思います。
 痛めていた股関節も当日は不思議な程に何の痛みもなく、険しい峰々登り下りできましたことは仏様が御加護してくださったとしか言いようがありません。
 バスの中でお話いただきました修行の目的や意義を常に心にとどめ、これまでの人生の中であった様々なことを反省し、清らかな心を持って、当たり前のことを当たり前に行うことの大切さを改めて痛感いたしました。
 定年退職を機に、これまでは仕事に追われてきた人生でしたが、第二の人生は社会のため、他人のためにも尽くしつつ、目的を持って能動的に悔いなく生きることと考えておりましたが、疑死再生によって新たな心、生命で出発できるよい機会となりました。
 入峰修行で断崖絶壁の見下ろし岩では腹ばいになって体をぐっと空にのり出し、何もかも忘れて行者様からの問いにあらん限りの声を出し、ただ「はい」としか返答できなかった自分。絶壁の岩を通り抜け、母の胎内であるかのような岩の中をくぐり抜け、少しひらけた所に出られたときのほっとした安堵感、数々のたどり着いた行場、そこで唱えたお経文、一緒に修行を行った行者様や同胞の方々の真摯で清らかな顔々を折にふれて思い出し、菩薩・仏の心を目指し、六波羅蜜の実践を心構えて日常生活を送るならば仏様もきっと御加護してくださると信じて山を下りました。
 栗原市 Iさん(62歳)


体験記
 「最高の気分だなぁ」これが初参加の感想です。最初は敷居が高いかなと思っていたら、なごやかな雰囲気にすんなり仲間入りできて感激。やわらかな日差し、目にやさしい緑、すがすがしい山の空気にまた感激。十界修行・お不動様・本物の行者様にまたまた感激。縁があってここに集まった皆さんも参加の動機は様々だろう。私の場合は、17年間の介護生活の総まとめでした。先の見えない日々、何度もその人を命の危機が襲い、私は成す術も無くお不動様に祈りました。その度に息を吹き返す不思議。お不動様にお礼がしたいとこの峰入り修行に参加しました。修行のハイライト柱源護摩、堂内に響く慈救呪の中「よくやった御苦労様」とお不動様。確かに感じました。不覚にも泣いてしまいました。
 この峰入り修行は本当に良いですね。年配の方たちの強さに驚き、若い方たちのけなげさに打たれ、自分の情けなさが露になる。それに行者様かっこよくて憧れます。参加の目的はどうであれ、必ず何かを見つけることが出来ると思います。
美里町 Sさん(41歳)


霊山入峰修
 修行に参加させていただき、有難うございました。友人に誘われました。私はこれまで数回、登山形式で霊山に入山しました。今回も登山かなと思いましたが、案内状を見ましたら修行の入山、本堂前に集まった人々の姿に、身のしまる気持ちになりました。見下ろし岩の体験にはゾーとしました。後にCDを見ましたが自分の身の出し方、腰が引けています。私は30年位、山登りをしていますが、日本の山登りの本来の姿だと思います。私は山登りを趣味としておりますので、出羽三山はまだ登っていませんので、今回の姿で入山したいと思います。今回の修行登山。みなさまの温かい気くばり有難うございました。
又、機会がありましたら参加したいと思います。
白石市 Yさん (53歳)


霊山入峰修行に参加して
 初体験の私にとっては、すべてがただしく、新鮮この上ない一日でした。修行のなかばでは、もうギブアップと思われたが、周囲の方々の手助けを借りて最後まで行を終えたことは、私にとっては何にも代えがたいものです。何が一番?と皆に聞かれたが、やはり下見の行(覗きの行)が一番と思われた。年齢といつもの物事に対する甘さから、到底私には無理と思われたが、この行を成し得た事はこれからの仕事への取り組みが、甘さ・人まかせにしない・いつも一人で特に苦しい時に、当時の事を思いだして、ふんばれると思う。人生の応援体験思われる。修行の終わり頃は、もう二度と来る事はない心境だったが、時を経るにつれて修行がとても懐かしく思われ、来年も参加したいと思う。私の話を聞いて主人も是非、来年は一緒に参加したいと今から待っているようです。その時はどうぞよろしくお願いします。
 A子さんより


体験記
 先日は大変貴重な体験有り難うございました。甘い考えで八月に予定している月山登山の運動にと思い参加したものの罪当たりな事をしてしまったと後で深く反省しています。今回で山登りも四回目になりますが、今までに味わった事のない感動と自分への自信、私などよりずっと年上の方々がすいすいと歩く姿、そしてたくましさ、初対面の人達ばっかりなのにいつの間にか皆一体になってあんなに険しい山でも手を出し助け合って、物見遊山ではないという事をつくづく感じました。バスの中で色々とお話があった事、これからの人生何か一つでも思い出す事が出来たなら、いい人生を過ごす事が出来る様な気がします。本当に有り難うございました。それから写真を送って頂き有り難うございました。
 B子さんより


体験記
 私は霊山とは武術の修業を通して大変縁が深く、霊山神社にも年に数回参拝し、奉納演武を続け、霊山登山も何回かやってきました。しかも初めての入峰修行が愛敬院の霊山入峰であることに強い因縁を感じざるを得ません。山伏となって初めて法衣に身を包み愛敬院の山門を潜った私は、緊張感とは違うこれまでに体験したことのない不思議な気持ちにかられていました。入峰の行に入って最初の行場が覗き岩からの行でした。一度死んだはずなのに内心ふるえている自分の姿を悟られまいと、強がる自分が滑稽だった。また、副霊山の霊峰は、ただただ手を合わせるのみでありました。各行場での勤行は、とても清々しく充実した心で、一生懸命勤行しました。最後の行は一度死んだことも、生まれ変わることも、何が何だか分からないまま、ただ思い切り高く大声で『ア・バン・ウン』と飛び越えた。
 Cさんより

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